Kokeshi craftsmen interview こけし工人インタビュー | ABO, Masafumi 阿保正文 | Tsugaru style 津軽系

こけし職人インタビュー こけし職人インタビュー |阿保正文 阿保正文 |津軽風 津軽系

私は何人かのこけし職人に、彼らがどのようにしてこの技術を始めたのか、そしてどのようにしてこの技術を習得したのかについてインタビューしました。

こけしは、周囲の環境や作り手の性格などに影響され、暗黙のルールのもとで作られてきた独特な人形です。

彼らから聞いた情報をいくつかシェアしたいと思います。

6月は津軽こけし職人、阿保正文さんについて。

楽しんでいただければ幸いです。

ユニークで、東北の風土と作り手とわかりやすい人々に育まれてきたこけし。こけし職人さん達にサーブされたお話をご紹介していきたいと思います。お楽しみいただけましたら幸いです。

なぜこけし職人になったのですか?

正文さん:私がこけし作りを始めたのは、父がこけし職人だったことがきっかけです。

大学を卒業した時、絵を描いたり何かを作るのが好きだったので、それを活かした仕事を探していました。でも、もし就職したらこけしは作らないだろうと思い、こけし職人になることを決めました。

私には製造業に携わりたいと思っていた友人がたくさんいます。

私はこけし職人の家に生まれたことが幸いでした。

 

見習い時代の具体的な研修内容は何ですか?

M: 私の場合は、特別な「徒弟修行」はありませんでした。こけし作りを始めたばかりの頃は、木地挽きの仕事をしていました。

私の師匠(正文の父、武秀)がこけしを習い始めた頃は、師匠の家に住み込みで、皮剥ぎや木取りなどの木地の下ごしらえや家事全般を手伝っていました。まるで落語の弟子のような仕事ですね。(落語は日本の伝統的な話芸の一種で、弟子入り制度があります。)

 

津軽こけしの弟子入りには期間が決められていると聞きましたが、どれくらいですか?

M: 津軽こけし組合では、師匠のもとで最低3年間(以前は5年間)学ぶ必要があります。そうすることで、「津軽こけし職人」としての自覚が持てるようになります。

研修期間終了後、津軽こけし組合に所属(2名以上の推薦が必要)すると、津軽こけしの博物館兼組合である津軽こけし館のイベントに参加できるようになります。

 

こけし職人として何か資格をお持ちですか?一人前の職人になったと思われたのはいつ頃ですか?

M: いえ、特別な資格があるわけではないのですが、自分のこけしが師匠のこけしと同じ場所で売られた時に、一人前のこけし職人になったという実感がありました。

 

こけし作りについては、先生から講義などを通じて学んだのですか?

いいえ、本当に言葉を通して学んだわけではありません。

木を削ったり、色を塗ったり、旋盤で線を引いたりといった練習を始め、それからコマのような小さな木のおもちゃを作り始めました。それから師匠にこけしの絵付けをするように言われました。

私がこけしを作る時は、師匠の武秀さんが良いこけしと悪いこけしを選別してくれました。それを踏まえて、自分なりにこけしの良いバランスを考えていくべきだと思います。

私のこけしが認められれば、師匠はイベントなどでこけしと一緒に販売してくれるそうです。

また、記念品の作成や大量の注文の処理など、マスターの仕事を手伝いました。

 

古典こけしを模写することには、何か特別な思い入れがあるのでしょうか?

こけし職人にとって、修復をすることは一種の勉強になると思います。

復元されたこけしは、以前の伝統的なスタイルの人形だと思います。もし欲しい人がいれば作ります。他に誰も作れないなら作りますが、元の職人の子孫がそのスタイルの人形を作る可能性もあるので、そうなったら私は作らないし、作れないでしょう。

 

あなたにとって「津軽こけし」とは何ですか?

ほっぺを真っ赤にして雪遊びをする無邪気な津軽の子どもたちです。

こけしを通して津軽の風土や人柄をお客様に伝えていきたいと思っています。

 

私が思う津軽地方のユニークさです。

閉鎖的な社会で、周りの目を気にする人が多いです。でも、私たちの方言には「もつけ」という言葉があります。これは「目立つ」という意味で、村の中で目立つ人がいることは良いこと、あるいは社会にとって必要なことだという意味です。誰かを「もつけ」と呼ぶと、熱烈に「もつけ」の人たちを応援したいという気持ちが伝わってきます。

 

また、「じょっぱり」は、人が考えを変えない時に使う言葉で、一言で言うと頑固という意味です。「じょっぱり」は「頑固」という意味で使われますが、さらに「時には頑固さも必要だ」という意味も含まれています。「じょっぱり」は、相手の初心を貫く敬意を表す言葉として使われることもあります。

 

例えば、津軽こけし職人の佐藤善治(1925-1985)は、いわば「母付け」でした。彼は、津軽こけしの名工として名高い師匠、森秀太郎(1895-1986)と口論になりました。(彼の作品は今でもこけし収集家の間で高値で取引されています。)

禅師は、その喧嘩のせいで師匠のこけしを作れなくなってしまいました。でも、弟子もたくさんいて、中学校ではこけし部にも所属していました。津軽こけしの巨匠でした。私(正文)は、禅師は毛付派だったと思っています。

父の武秀も「もつけ」派なのかもしれません。父は新しいスタイルのこけしを作るのが好きで、地元の新聞社に持ち込んで掲載してもらうんです。なんだか注目を浴びたいタイプみたいですね。

これらは津軽人の性格です。

 

今後、作りたいものは何ですか?

これからも、伝統と独創のこけしを作り続けて行きたいと思います。

私は作り手なので、こけしを家に飾ったりはしません。

お客様との距離が近いと感じられるのが好きです。特に、目の前でお気に入りを選んでくださる時は嬉しいですね。

 

りんごこけしについて

リンゴをモチーフにした様々なこけしを制作されていますが、アイデアはどのように生まれるのですか?

青森県は日本一のリンゴの産地なので、アイデアがあればリンゴこけしを作ります。

注:2020年の青森県のリンゴの生産量。

青森県 463,300トン / 日本全国 763,300トンで、日本のりんご総生産量の61%を占めます。(青森りんご協会調べ)

 

こけしを始めたきっかけは?

家がこけし屋だった、という影響です。

大学卒業の時、物作りや元々描くのが好きだった絵を描く仕事探しを大切たのですが、就職したら仕事優先になるからこけしは作らないかも、と思い、最初からこけし屋になりました。

友人達でも、物作りに関わりたい人はいたが、自分は実家があった場所だったらラッキーだったと思います。

 

津軽こけしの「修行」とは?

・修行中の弟子の主な仕事

今はそこまで「弟子の仕事」はないのですが、最初から機械の前に座っていました。

六知秀工人が住み込みでこけし職人の弟子になった頃は、機械の前に座る前に木の支持度や生活のことなどもやっていたそうです。

 

・津軽こけしは「規定の期間の修行」があると聞きましたが、どのくらいですか?

津軽こけしの組合では、師匠について3年間の修行(以前は5)後に津軽系と名乗りました。

工人会に参加すると(2名以上の推薦が必要) 、こけし館などのイベント(2022年当時)に出店できるようになります。

 

・「一人前の労働者」免許などはありますか?

特別な免許などはないけれど、師匠のこけしと一緒に売ってもらったようになった時に「一人前になった」という感じがありました。

 

・師匠から直接言葉で教わったことはありますか?

「言葉で覚えた」感じではありません。

 最初は、棒を減らして色をつけて、ろくろ線を優先練習などしていました。

その後、コマなどの小物を作り始めて、「顔を描いてみたら?」と言って描き始めました。

その後は描いたこけしを見て六知秀工人が「これはいい」「これは駄目」と選んでいく感じ。

「これはいい」というこけしは、師匠がイベントへ行く際に一緒に持って行って売ってもらいます。

その他、記念品などの量が多い注文などの師匠の仕事の手伝いをしました。

・阿保さんの中「津軽こけし」とは?

津軽の子ども。雪の中で遊んでほっぺの赤い純朴な子ども。場所や風土が見ただけでわかるといいな、と思っています。

 

津軽らしさ…

周囲を見ながら生きている、村社会だなんだか

「もつけ」:人よりグンと見られるような、という意味の方言。

あるように、「それもいいことだ」「そういうことも必要だ」といった人を鼓舞するような意味を含んでいる熱い気持ちを表す言葉や、

「じょっぱり」:自分の信念を変えない。ある意味がんこ(時々じょっぱりもいいことだ、という感じで使われる)

という言葉があるのが津軽らしさ。

 

師匠の盛秀太郎喧嘩して、師匠の型を作らなかった佐藤善二さんは「もつけ」っぽいさんと思います。善二さんは、だから弟子をたくさんとった。

六知秀工人は、もつけっぽいかな(笑)

 

・阿保さんが、これからやっていきたいと考えていることはありますか?

伝統こけしを作りながら、創作的なこけしも作り続けながらやっていきたいと思います。

 

 

 

 

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